先生に騙されて 【1】
男を好きになってしまった。
しかも学校の先生。
自分でも信じられない事態に頭は混乱した。
相手は数学担当の宮島京司(みやじまきょうじ)。
宮島はとにかく優しくて、キレイだ。
すらりと背が高くて、均整の取れた体躯はスーツがとても似合っている。
容貌は男らしいというよりは中性的な雰囲気があり、それでも決して女らしさはない、『綺麗』という言葉がしっくりくるような美貌の持ち主だ。
印象的な切れ長の瞳は一瞬冷たい印象を受けるけど、笑うとすごく優しくなる。
外見だけ見ると近寄りがたいイメージを周囲に与えるが、予想を裏切って宮島はとても気さくで人当たりが良かった。
授業も分かりやすくて楽しい。
俺の片思いは宮島がこの学園へ転任してきた今春から続いている。
つまり三ヶ月以上。
最初はただの気の迷いだろうと自分の気持ちに見て見ぬ振りをしていたが、どうやら本気で好きになってしまったらしい。
相手が男だろうが、先生だろうが、年上だろうが、好きになってしまったものはどうにもできない。
近頃やっとそう思えるようになってきた。
でも自分の気持ちを認めたかわりに、心に決めたことがひとつある。
それはこの気持ちを隠し通すこと。
だって、告白したところで断られるのがオチだ。
先生に気持ち悪がられて、迷惑に思われるぐらいだったら、ただの生徒でいたほうがいいに決まっている。
そして今日も、自分の気持ちを隠したまま宮島の授業を受ける―。
授業もあと五分で終わりを告げる。
俺は一番後ろである自分の席から、教壇に立っている宮島の後ろ姿を見つめていた。
宮島の授業は週に三回ある。俺はその日を楽しみにしていた。
(今日もキレイだなぁ・・・)
ぼんやり眺めて至福の時間に浸っていると、横から小声で声がかかる。
クラスメイトで友人の雄太(ゆうた)だ。
こいつとは中学のときからの腐れ縁みたいなもので、高校二年になった今でもよく行動を共にしていた。
振り向くと雄太はニヤニヤと笑みを浮かべている。
嫌な感じだ。こういうときは決まって俺をからかうのに決まっている。
「圭(けい)、お前さぁ」
「・・・なんだよ」
この後に続くであろうからかいの言葉を予想して、無意識に身構える。
「さっきから宮島のこと見つめすぎ」
「なっ・・・!」
雄太は唯一、俺の片思いを知っている。
だからといってこうして面と向かって言われると、やはり恥ずかしい。
見つめている光景を見られていたのかと思うと、かーっと耳が熱くなるのが分かる。
ああ、なんで席替えでこいつの隣になっちまったんだ!
「う、うるせえよ!」
怒鳴った途端、はっとして口元を手で押さえる。
・・・が、すでに遅し―。
クラスメイト全員が何事かとこちらに視線を集める。
そして案の定、宮島も俺のほうを見ていて・・・。
「・・・すみません」
この状況にいたたまれなくなった俺は、小さな声で謝罪の言葉を口にする。
すると宮島は形の整った眉を少し下げ、困ったように笑った。
「時任(ときとう)くん。授業はあと少しで終わるけど、最後まで先生の話は聞いてくださいね」
「はい・・・」
クラスメイトがくすくすと笑う声が耳に痛い。
俺は俯いて返事をするしかなかった。
元々目立つことは嫌いだった。今、猛烈に恥ずかしい。
その原因を作った隣の男を睨みつけてやるが、当の本人はまったく気にしているふうでもなく、この状況を楽しんでいるようだ。
(・・・覚えてろよ、雄太)
「じゃあ授業を聞いていなかった罰として、今日使ったこの資料を授業のあと、一緒に資料室まで運んでくれるかな」
「えっ!」
さらりと言った宮島の爆弾発言に俺は顔を上げた。
実は好きと自覚してから、つまり思いは告げないと決めたときから宮島と接近することを避けていた。
親しくなるとそれだけ自分の思いが膨らみそうで怖いからだ。
だから、一緒に資料を運ぶなんて・・・。
(そんなん無理・・・)
しかしもちろん「先生のことをこれ以上好きになったら困るので無理です」と言えるはずもない。
断る理由も権利もない俺は、ただ頷くことしかできなかった。
「じゃあ時任くんはこれと、あとこれも・・・持てる?」
「はい、大丈夫です」
両腕にどさりと乗せられる国語辞典やプリント他、資料諸々。
それを持つと宮島の一歩後ろをついて歩く。
資料室は同じ校舎の四階にあるので距離にすればそれほど遠くはないのだが、今日は果てしなく遠い道のりに感じた。
宮島はときどき後ろを振り向いては「重くない?」と声をかけてくれる。歩調も、俺に合わせてゆっくり歩いてくれているようだった。
そんなさりげない優しさにふれると、また好きという気持ちが大きくなってしまいそうで怖い。
しかも宮島の後ろを歩いていると、なにかつけているのだろうか、爽やかな香りが鼻をくすぐって俺をどぎまぎさせる。
他愛のない会話にどうにか返事をしながら資料室へと辿り着いた。
資料室とは名ばかりで、中には机や文化祭で使った飾りなんかも置いてあり、まるでそこは倉庫のようだった。
そのうえカーテンを閉め切っているせいで、昼過ぎだというのに中は薄暗い。
少し埃っぽい机へ資料を置くと、宮島は俺に向かって微笑んだ。
「お疲れ様。ありがとう、お陰で助かったよ」
「いえ。じゃあ俺はこれで・・・」
役目は終わったとばかりにそこから出て行こうとする俺の腕を、宮島が優しく掴んだ。
突然のことに驚いて見上げると、目の前の男と目が合う。
こんな間近で宮島の顔を見るのは初めてだった。
それだけで心臓は張り裂けそうなくらい、早く鼓動を刻んでいる。
それに気付かれまいと、出来るだけ冷静を装った表情を浮かべるよう努力する。
「・・・先生、なんですか」
「腕、大丈夫かなと思って。重かったでしょ。痛くなかったかな」
そう言って掴んだままの腕を労わるようにさすった。
「だ、大丈夫ですから!俺、スポーツやってて結構体鍛えてるし・・・」
だから離して下さい、と言いたかったのだがそれは口に出来なかった。
それは何故か――。
宮島の表情は相変わらず穏やかで優しい。
しかし、なにかおかしい気がする。
いつもと、どこか雰囲気が違うような・・・?
「先生。俺、もう行かなきゃ次の授業始まっちゃうし・・・」
「時任くんはそんなに先生のことが好きなの?」
「えっ?!」
一瞬なにを言われたのか理解できなかった。
数秒後やっとその言葉を理解して、羞恥で顔を真っ赤にした。
(・・・バレてた――?!)
「先生、何言って・・・」
うまく言葉が出てこない。
宮島の顔をやっとの思いで見る。そしてそのとき気付いた。
先ほど感じた違和感を。
「みやじま、先生・・・?」
そこにあった瞳にはいつもの穏やかさはなく、かわりに妖しげな色が浮かんでいた。
全体の雰囲気も、人好きのする柔らかなものが消え、代わりに危険な甘さを含んだ危うい大人の男の香りが漂っている。
まるで別人のように豹変した男に、俺は混乱しつつも頭の隅で今の状況が自分にとって良くないことを悟る。
だが、腕を掴まれてはどうすることもできない。
「時任―・・・圭っていつも俺のこと見つめてるよね、授業中」
がらりと声色が変わる。低く囁くような声。
名前で呼ばれるのも初めてだった。
しかし先ほどの宮島の言葉で頭がいっぱいで、それを気に留める余裕もなかった。
「そ、そんなの先生の気のせいだろ・・・!」
「ここまできて、まだ誤魔化すつもり?あれで気付かないと思った?」
くい、と顎を掴み顔を上に向かされ、強引に視線を合わせられる。
「本当、可愛いんだから」
いつもとは違う、喉を小さく鳴らすようにして笑うと、ゆっくりとその綺麗な顔が近づいてきた。
唇になにか柔らかい暖かなものが触れる。
「―――っ!?」
キスをされていると分かったのは、歯列の隙間からするりと舌が入ってきてからだった。
(う、うそっ!なんで・・・?!)
侵入してきた舌は器用に俺の口内を這い回る。
裏顎を刺激され、舌を愛撫し、吸い上げられる。
その動きに翻弄された。
「・・・ん、んんっ!」
無意識にでる鼻にかかった自分の甘い声が恥ずかしくて、唇から逃れるように顔を背けようとするが、宮島はそれを追ってまた繰り返しキスを仕掛けてくる。
「は、はぁ・・・」
ようやく終わった頃には、すっかり俺は息が上がってしまっていた。
こんなに長く濃厚なキスをしたのは初めてで、情けないながらもすっかり腰が砕けてしまった。
上手く立てなくなった俺の腰を、宮島の腕が支える。
目の前にある宮島の唇はまだ濡れていて、先ほどの行為を生々しく思い出させる。恥ずかしくてそれを直視できなくなり顔を背けた。
宮島の真意が分からない。
なんで俺にこんなことを・・・?
「俺がなんでこんなことをしてるのか分からないって顔してるね」
見事、心中を言い当てられて、びっくりする。
素直に頷くと、宮島は唇の端を歪ませるように笑った。
その表情は教壇に立っているときには決して見られないもので―。
普段、俺たちが見ていた教師の宮島は偽者で、実はこっちが本当の宮島の姿なのだろうか・・・?
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