身勝手なあいつ【4】
新しい家は、学校から歩いて15分のところにあった。
閑静な住宅街の一角にある、一際大きいレンガ造りの建物がそうだ。
この家は充がまだ幼い頃に建てたらしく、そこからも某大手電機メーカーの支社長を務めているという義彦さんのエリートぶりが伺える。
今までずっとマンション暮らしだったオレは初めてこの家を見たとき、ただひたすら驚いた。
自分がこんな立派な家に住む日がくるとは、夢にも思っていなかったのだ。
「ただいま」
重厚な造りのドアを開け、玄関にある靴を見る。
そこには母さんが普段履きしているパンプスがひとつあるだけだった。当たり前だけど、充はまだ帰ってきていないようだ。
キッチンへ顔を出すと鼻歌を歌いながら夕食の支度をしている母さんがいた。
オレが帰ってきたことに気付き、笑顔を向ける。
「あら慶太、おかえり。今日は遅かったわねぇ。充くんはまだ帰ってないみたいなの」
義彦さんと再婚して専業主婦となった母さんは、好きな料理を思う存分出来て楽しそうだった。
「へえ、そう」
(そりゃそうだろうな)
学校に迎えに来ていたことは言わずに気のない返事を返すと、二階にある自分の部屋へと向かう。
階段を上がり左手一番奥がオレの部屋、そしてその向かいが充の部屋だった。
本当は充と部屋が向かいと知ったとき、部屋を替えてくれと頼んだけれど、他の部屋は既に使われていたり、日当たりが悪かったりで結局この部屋になってしまった。
まああれだけ遊び人なのだから、ろくに家に帰ってこないんじゃないかと目論んでいるんだけれど。
自分の部屋へ入ると、制服のブレザーを脱ぎベッドへ仰向きに倒れこむ。
スプリングが重みで沈み込み、その心地よさに目を閉じる。
瞼の裏には充のニヤけた笑みが思い浮かんだ。
高橋が言ったように、悔しいが充はそこらの芸能人よりかっこよかった。
初対面の出来事と、派手なファッションがあまりに印象に強すぎて、充本人の外見にまで気にする余裕がなかったが、よくよく見てみると華やかで男らしい風貌をしていて、高橋の言うことに頷けた。
それにスタイルもよく、背だって180センチはありそうだ。
「そりゃモテて当たり前だよなぁ。しかも口もうまいし」
悔しくて口には出さないが羨ましい、と思う。
悩むほどのコンプレックスは自分にはないが、それでももう少し背が高ければとか、もう少しキリッとした目元だったらとか思うのだ。
背は今のところクラスで低い方だし、顔は女顔ってわけじゃないけど、アーモンド形の黒目がちな瞳が幼い印象を見るものに与える。
充はあのチャラチャラしたところを覗けば、正にオレの理想でそれが余計にムカついた。
「あいつには口が裂けても言えないけど・・・」
呟きながらごろんと寝返りをうったところで、急に部屋のドアが開けられた。
びっくりして飛び起きると、顔を出したのは充だった。
まだジャケットを着ているところを見ると、今帰ってきたばかりらしい。
「・・・勝手に開けるなよ!」
勝手に帰ってしまったことへの後ろめたさがあり、充の目を直視できずに視線を逸らす。
しかし充はさっきのことなんて忘れてしまったかのような、いつもの表情を浮かべている。
もしかして、オレが怒って帰ることすら予想していたのだろうか、とつい疑ってしまう。
充はオレが何も言わないのをいいことに、勝手に部屋に入るとぐるりと一蹴見渡した。
「へえ、もう全部荷物片付けたんだな」
オレたちがこの家へ越してきてから、充がこの部屋へ入るのは初めてだった。もちろんオレもあいつの部屋には入ったことはない。
「入ってくるなよっ」
手元にあった枕を投げつけて牽制するが、充は軽々とそれをかわした。
「なんだよ、そんなに焦って。部屋に見られたくないものでもあるのか?」
「べ、別にないけど嫌なんだよ」
今回ばかりは充のからかいに乗らないようにとぷいと横を向いたオレに、充は疑わしそうな視線を投げかけた。
「・・・エロ本の一冊や二冊あっても、オレじゃ驚かないけど?」
「バ、バカじゃないのかっ。そんなん持ってねえよ」
「嘘付けって。オレがお前ぐらいのときなんか、本どころかビデオまで持ってたぜ」
そう言いながらしゃがみこむと、ベッドの下や机の引き出しを探索し始める。
「やめろって」
充が探しているような本を持っていないのは本当だ。
だからといって部屋を探し回られていい気がするわけもない。
充の背中を拳で加減もなしに叩くと、ようやく観念したのか立ち上がった。そしてつまらなそうな口調で呟く。
「なんだ、本当にないじゃん」
「だから最初からないっていってるだろ。用がないんなら出て行けよ」
「はいはい。ほんとにお前は怒ってばっかりだな」
「怒らせてるのは誰だよっ」
充は出て行こうとドアノブに手を掛けたところで、思い出したように「ああ、そういえば」と振り向いた。
「春子さんが夕食出来たから降りて来いってさ。今日は記念だからってオヤジももう帰ってきてる」
「・・・え、ああ、そうなんだ。わかった」
頷くオレを確認すると充は自分の部屋へと戻っていった。
もしかしてそのことを伝えにやってきたのだろうか。
(そんなんだったら余計なことしないで、始めから伝えてくれたらいいのに・・・)
充の考えていることが分からずに溜め息をひとつつく。
制服から普段着へ着替えると、ダイニングへと向かった。
「うわ、すっごい豪華じゃん」
食卓に並びきれない料理の数に思わず声を上げる。
「義彦さんお帰りなさい」
椅子に腰を下ろしながら、既にワインを飲んでいる義彦さんに言う。
オレの隣では充が、こちらはビールを飲んでいた。どうやら親子揃ってアルコール好きらしい。
「ただいま。今日は家族四人で暮らし始めた記念日だから早く帰ってきたんだ。残念ながら、いつもこうはいかないんだけどね」
「そうよ〜。母さんが腕によりをかけて作ったんだからね。慶太が好きなエビフライもいっぱい作ったから、たくさん食べなさいよ。でなきゃ背が伸びないわよ〜」
母さんはテーブルの上へ料理を並べ終わると、エプロンを外し自分も椅子へと座る。
「母さん、エビフライと背は関係ないだろ!」
「なに言ってんの。大体、あんたは偏食ばかりするから背が小さいのよ。そんなんじゃいつまで経っても、充くんみたいに大きくなれないんだからね」
遣り取りを聞いていた充が吹き出すのを見て、オレはむっと睨む。
しかし睨まれた当の本人はそ知らぬ顔で料理に手をつけている。
「・・・ったく」
不貞腐れながらも目の前に出されたエビフライを頬張る。
腕によりをかけたと言った母さんの言葉どおり、いつも以上に美味しかった。
不機嫌だった気持ちも料理の美味しさに忘れてしまい、上機嫌で箸を動かす。
そろそろ満腹になってきたとお茶を飲もうとすると、充がガラスコップをこっちに差し出した。
「なに?」
「これ、飲むだろ?」
そう言って差し出したのは缶ジュース。缶には瑞々しいピーチの絵が描かれていた。
「うん、飲む」
いつもとは違うにこりと微笑むような充の表情に気を許し、オレはグラスを受け取った。
シュワシュワと炭酸の小気味よい音を立てながらグラスに液体が注がれると、それを一気に飲み干した。
甘くて美味しい味に気を良くしたオレは充の目の前に空になったグラスを差し出す。
「もう一杯ちょうだい」
「うまいか?」
「?美味しいけど?」
変なことを聞くなぁと思いながらも二杯目に口を付ける。
半分ぐらい飲み終えたところで、自分の身体の変化に気付いた。
頭がふわふわして体が熱い。でも気分はすこぶる良かった。
「なんだ、これ〜?」
「慶太?あんた顔が赤いわよ?」
様子のおかしいオレに母さんが訝しげな表情を浮かべる。
「ん〜、大丈夫だよ。・・・オレお腹いっぱいだからもういいや。ごちそうさま〜」
立ち上がろう腰を上げた瞬間、ぐらりと視界が揺れた。
「あれ?」
倒れると思いぎゅっと目を閉じると同時に、逞しい腕がオレを支えた。
見上げるとそこには充がいた。オレを抱きかかえたまま後ろを振り返り、
「春子さん、ごちそうさま。とっても美味しかったです」
そう言って女の子なら誰もがうっとりしそうな、甘い微笑みを浮かべた。
息子になったといえど、母さんもまんざらでもなさそうで頬をちょっと染めて嬉しそうに笑った。
「そう?充くんの口に合ってよかったわぁ〜」
「これからも春子さんの手料理が食べれると思うと嬉しいな、オレ。―じゃあオレこいつ部屋まで送ってきます。ちょっと気分悪そうだし」
ぐいと強引にオレの肩を抱くと歩き出す。
何事かと一瞬ついていけなかったが、廊下に出たところではっとする。
「自分で歩けるって」
離れようと抵抗するオレの耳元で充が囁いた。
「お前、酒弱いのな」
「は・・・?」
なんの話だとぽかんとすると、充はふっと笑った。
「まだ気付いてないのか?お前が飲んだのはジュースじゃなくて、酎ハイ。立派な酒だよ」
「酎ハイ・・・ええっ?さっきのあれ・・・?」
(・・・甘くて美味しかったけど、あれがお酒?)
アルコールを体内に入れたと分かった途端、余計に酔いが回った気がする。
「えーっと、なんで・・・?あんたが間違えたの・・・?でもあれ美味しかったよ?」
回らない頭で考えようとするが、ちっとも思考が動かない。
充はぶつぶつと呟くオレの肩を再び抱き寄せると、階段へと向かう。
「ほら、早く自分の部屋に行こうぜ。寝たら酒なんて抜けるから」
「・・・よくわかんないけど、そういうもんなの?」
肩に回った腕を振りほどくのも億劫で、オレはそれに身を任せた。
充がそんなオレの姿を見て、にやりと口元に笑みを浮かべていることも知らずに―。
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