身勝手なあいつ【6】
見上げた空はどんよりと曇っていて、夜だというのに月どころか星のひとつも出ていなかった。
(そういえば、テレビで今夜から悪くなるって言ってたっけ)
いまひとつすっきりしない天気は、まるで今のオレの心情を表しているようだと思った。
今朝。カーテンの隙間から差し込む日差しが眩しくて、オレは目が覚めた。
重たい瞼を開くと、まずはじめに目に入ったのが真っ白い天井。
そして次に淡いブルーのカーテン。
(・・・あれ?オレの部屋のってこんな色だっけ?)
寝起きのぼんやりとした頭でふと考える。違和感を確かめようと上体を起こすと、頭に鈍い痛みが走った。
「痛っ・・・」
頭を押さえ、再びベッドに倒れこむと、手になにか暖かいものが触れた。
横を見ると、自分の隣の布団がこんもりと大きく膨らんでいることに気付く。
そろりと布団の端を捲りあげると褐色の肌が現れた。
オレの隣にあったのは“もの”なんかではなく、紛れもない人間の背中――信じたくないが、上半身裸の充が気持ちよさそうに寝ていたのだ。
「・・・なんで?」
現状が把握できず、困惑の色の混じった声を出した。
どうして充と並んで寝ているのかとしばらく呆然とするが、その背を眺めているうちに、昨夜、自分の身になにが起きたのかが急激によみがえってきた。
(―そうだ。こいつに酒を飲まされて、ここに連れられて・・・それで)
その先のことを思い出し、カーッと羞恥と怒りで頭に血が上る。
なにをされたかなんて、とても口には出せない。
いや、それ以前に思い出したくもなかった。
血が繋がっていなくとも兄だ。しかも男なのだ。
そんな奴に、触られて達してしまうなんて・・・。
しかも終わるころには言われるがまま、充の名前を呼んでイッてしまったような気がする。
あのとき、まるで自分は甘えるような声で充を呼んでいなかったか・・・?
自分の言動に、頭を掻きむしりたい衝動に駆られる。
(オレのバカ・・・!)
ろくに自慰すらしたことなかったおかげで、さらにショックは大きかった。
元凶である男の広い背中を睨みつけていると、低い呻き声と共に微かにそれが動いた。
「ん・・・」
どうやら充が目を覚ましたようだ。
うっすらと開いた瞳はオレの姿を確認するなり、細く眇められた。
きっとまたろくでもないことを言い出すと察知して、反射的に身構える。
しかし予想とは裏腹に、充はオレの頬に手を伸ばすと優しく撫で、問いかけた。
「気分はどうだ?」
あやすような仕草に面を食らいつつも、どうにか悪態をつく。
「・・・っ、最悪だね!誰かのせいで頭も痛いし」
ふいっと充の手から逃れるようにして背を向ける。
あえてイカされたことについては触れなかった。
「二日酔いか?」
微かに充の目が見開く。
言外にたったあれだけで?と言われているようで、オレの機嫌はさらに急降下する。
「そうだよ。悪かったな」
以前、酒が弱い家系だと母さんから聞いたことがあった。
オレもその血を受け継いでいるのだから、たったグラス二杯でも二日酔いになるのは仕方ないといえた。
大体、まともにアルコールを体内に入れたのも初めてだったのだ。
そのことを伝えると、充は「そうだったのか」と納得し頷いた。
「悪かったな。そこまで弱いとは思っていなかった」
いつもと違って、殊勝な充の様子に調子が狂う。
本当は罵詈雑言を浴びせるつもりだったのだが、素直に謝られてしまってはそれも出来ない。
ゆったりとした動作で上体を起こす充の様子を、横目で伺った。
「・・・そう思うんだったら、今度から酒なんて飲ませないでくれよ」
「そうだな。もうあんな卑怯な真似はしないでおく」
充は気だるそうに前髪をかき上げると、そう言った。
「・・・卑怯?」
なんの話だと視線を投げかけると、充は口の端をあげた。
「ああ。まさかお前があんな簡単に、ジュースと酎ハイを間違えるとは思わなかったからな」
「は?・・・ちょっと待て。あんた、もしかしてあれが酒だって知ってて、わざとオレに飲ませたのかよ」
「当たり前だろ?そもそも、オレは一言もジュースだなんて言わなかったぜ。お前が勝手にそう思い込んで、飲んだんじゃねぇか」
騙されたお前が悪いとなんとも勝手なことを言う充に、オレは勢い良く体を起こして、食って掛かる。
「なんだよそれ・・・、っ!」
しかし言葉は途中で途切れた。
腹が立ってすっかり忘れていたが、二日酔いの真っ最中だったのだ。
もっとも頭が痛いだけで他はどこも調子が悪くないから、二日酔いにすれば軽い症状なのかもしれないけど。
頭の奥で響く、鈍い痛みにうずくまっていると、充がベッドの隣に設置されているサイドテーブルへと腕を伸ばした。
「っと、あったあった。ほら、慶太。それ飲んどけ」
ぽんっと充が小さな箱をこちらへ放り投げる。
慌ててそれを受け取る。渡されたものは頭痛薬だった。
「ちゃんと朝飯食ってから飲めよ」
「・・・わかった」
こくりと頷くのを見て、充は優しい手つきでオレの頭を撫でた。
暖かい手の感触に、オレはどうしていいか分からずに戸惑って、ただされるままにする。
人の嫌がることばかりするかと思えば、急に掌を返したように優しさを見せる充。
充が一体どんな人物なのか、オレははっきりと掴めないでいた。
(意地悪なんだか、優しいんだか・・・。よく分かんないやつ・・・)
オレの中ではすっかり“意地悪で悪趣味”というイメージが定着していた充だったが、こんなふうにされると充に対する見方をどうしていいのか困ってしまう。
急に黙り込んだオレに、充が訝しげな視線を送る。
「どうしたんだよ。―あ、もしかして薬、口移しで飲ませてほしいとか?」
そこには優しかった表情は消え、すっかりいつもの人の悪そうな笑みを浮かべた充がいた。
(前言撤回!やっぱりこいつは性格破綻者で、最低の奴だ)
「朝ごはん食べてくる!あんたはもう少し寝て、その頭冷やしたら」
ベッドを降りると、感情に任せてバタンと勢い良くドアを閉める。
その後ろでくくくっと肩を揺らして笑う充の姿が見えた気がしたが、気付かない振りをした。
(もう、思い出したくもない・・・)
そうは思いつつも、気が付いたら一日のほとんどを充のことばかり考えてしまっている自分が恨めしかった。
忘れようと努力はしても、数分後には昨夜の行為が頭の中でリプレイされている、という状態を今日何度となく繰り返した。
おかげで学校の授業も、塾のテストもまったく身が入らなかった。そもそも、普段どおりに生活しろというほうが無茶なことだった。
それほどオレにとっては衝撃的だったのだ。
確かに、すごく恥ずかしくて屈辱的ではあったが、それ以上に強烈な快感だった。
充の手はオレが自分でしたときより遥かに巧みで、いとも簡単にオレを昇りつめさせた。
鼓膜に響く声、いやらしい手の動き、肌を這う舌―。
(・・・って、うわー)
昨日の光景を鮮明に思い出してしまい、ひとり赤面する。
すると隣を歩いていた俊輔が、オレの様子に気付いて声を掛けてきた。
「慶太、さっきからなにひとりで百面相してるんだよ。かなりあやしいんだけど」
俊輔は訝しげに首を傾げる。
「げ、オレ変な顔してた?」
咄嗟に誰かに見られなかったかときょろきょろ辺りを見回す。
「してた。ま、今日は人が少ないから、誰も見てなかったと思うけど」
言われてみると、週末だというのに街を行き交う人はいつもに比べると少なかった。
塾の帰り、夕食代わりにと立ち寄ったファーストフード店で俊輔とゲームの話で盛り上がってしまい、帰りがいつも以上に遅くなってしまったせいだろうか。
時計を見ると十時を過ぎてからずいぶん時間が経っている。
それでも母さんから携帯に電話が掛かってきていないのは、きっと明日が土曜日だからだろう。
休日の前は少しぐらい帰りが遅くても黙認されている。
「ていうかさ、今日一日変だぞ?学校でも塾でも、ぼーっとしてるし」
さすがは俊輔だ。
表面上はいつもと同じように振舞っていたはずだったが、付き合いの長い俊輔には見抜かれていたようだ。
だが、いくら親友とはいえ、義兄に手でイカされたとは口が裂けても言えなかった。
うーんと唸っていると、俊輔からするどい突っ込みが入る。
「あ、もしかして例のお兄さんにまた意地悪されたとか?」
当たらずとも遠からず、といった答えに、オレは曖昧な表情を浮かべた。
「・・・まあ、そんなかんじ」
言葉を濁らせると、俊輔はそっかと短く答えた。どうやら言いたくないことだと分かってくれたようだ。
理解ある親友に心の中で感謝をしつつ、あとは他愛のない話をして俊輔と別れた。
「はあ〜。今夜は早く寝ようっと」
大きく伸びをすると家へ帰るため足を踏み出す。
今日は一日中ずっと、昨夜のことばかりが頭を占領していたせいで、精神的に疲れた。
(ったく、いくらなんでもあそこまでしたら悪趣味を通り越して変態だろ。一体なに考えてるんだか・・・)
男のオレにあんなことをしてどういうつもりなのだろうか。
オレから考えれば男を手でイかせるだなんて、気持ち悪いと思うのが一般的のような気がするのだけど・・・そこは如何せん知識不足なのでひとりでは判断しかねた。
それに充は女にだらしないような男なのだから、同性とはいえあれぐらいのことは平気なのかもしれない。
いずれにしても、いくら考えてもオレでは到底充の考えていることなんか、分からないことは確かだ。
「あー、これ以上考えたら頭おかしくなりそう・・・。もう考えるの、やめやめ」
軽く頭を横に振って強引に思考を切り替えると、家へ帰る足を速めた。
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